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バポの話 バリの年寄り編

☆プナプナ 104号(2004/03/10発行)

バリに限らず、インドネシアで感心することのひとつに、「年寄りには一目おいている」というのがある。
頼りにされてるし、若い者はある種の尊敬をこめて接している。
バポは歩くバリ芸術だから、特にそうなのかもしれないけど、一緒にいると誰からも大事にされていた。
踊りの依頼があれば必ずお迎えが来て荷物を運んで差し上げ、場所に到着すれば、そこにいる老若男女が挨拶に訪れる。
手を握り、肩を抱き、バパに話しかけ、その表情はおだやかでやさしく、そんな表情を私はいつもいいなと思って黙ってみていた。
そしてそれが男性ならば、誰もが一度は踊りか音楽かを教えてもらったことがあり、そばにいる変な外人に向かってバポをたたえる話をするのだ。
こんなに沢山の教え子がいて、そしてその年齢層たるや20代の若者から中年のおっちゃんに至るまで、全く驚きだ。

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バポのうちにはもうひとり毎日やってくる近所のおばあちゃんがいる。
この写真だと上着を着ているが、この日は小寒い日だったので朝方たまたま着ていただけで、いつもは上半身すっぽんぽん、日ごろ隠していないので、腕や顔と同じようにおっぱいも境界線なく日焼けした同じ色で一体化し、見事に自然。
上着を着ている方が違和感があるくらいのもんだ。
バリのこういうおばあちゃんはダドンと呼ばれている。
このダドンは毎日午前中にやって来て、台所関係の面倒を日がな一日みていた。(このうち、主婦は二人いるのだが)

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バポの舞台がある日は、依頼元から朝沢山のお供え物が届く。
この写真はその一部分で、他にもいっぱいの食べ物などが運ばれる。
これを片付けるのは主に女の人の役目なのだが、ここはいつもダドンがやっていた。
毎日見てるとある程度やり方がわかってくるので時々私も手伝ったりした。

ある日、いつものようにバポの舞台がある日。
朝からおっちゃん達がお供え物を持ってきた。
みるみるうちに台所の台がいっぱいになってくる。
この日、なぜかダドンは姿が見えなかった。
持ち込まれたお供え物の山を目にしてこのうちの二人いるうちの一人、お嫁さんなのだが、
彼女はためいきをつき、
「ダドンはどこ?」
「今日まだ来てないよ」と私。
「呼んでくる」呼びに行った。
たぶん彼女の手に負えないと思ったのだろう。
頼りにされてるのねー。ダドンじゃなきゃだめなんだ。バリの年寄りはなくてはならない存在だ。

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再びバポ。オランウータンではない。  
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