うえこさんの思い出

13年前、私がまだ名古屋で踊りを始めたばかりで湯気が出そうなほやほやの頃、
NHKのおしゃれ工房で東京の皆川さんや俣野さん達が出演されてパニャンブラマを披露されたのを見た。
留学組でも長期バリ滞在組でもなかった私は、他にほとんど日本人のバリ舞踊家を知らなかった。
俣野さんと一緒に踊っていたプナリさん、めちゃめちゃイイ感じ、このキュートな人いったい誰?
上田浩子さんだった。
私の中に一発でインプットされた。

それから上田さんの舞台をあちこちへ観に行ったなあ。
普通はジャンルによっては得手不得手ができがちなところを
ドゥドゥックからレゴン、動物もの、舞踊劇まで、何でもこなす上田さんは憧れの存在で
まったく遥か遠い前方を歩いている人だった。
可憐なのに迫力があって、チェンドラワシの雌、プゲチェで雄とのからみ正面シーン、
今でも忘れられない超ど級の眼力。というかそういうありきたりな言葉を超えた迫力。
客席を射抜いてくるひたと決めた視線の先に、あれは何も映っていなかった、ぜったいに。
本当に鳥肌もんだった。

時を経て、未熟な私でもPきほちゃんやPゆきちゃんなど、関東で活躍していたプナリさんと
仲良くなったりそのお友達と知り合いになったりなどぼちぼちつながりが広がっていくうちに
遠い先を歩いていた「上田さん」とも知り合う機会に恵まれ、
淡路島の福田寺静御前法要で衣装を着ていない素の上田さんと一夜を共にする幸運に浴した。
夜遅くまで留学時代のお話を聞いたりして楽しかったなぁ。
普段着の(というかマタギファッションだったね)上田さんはとってもお茶目だった。
チャディンキダンの話なんか爆笑もんだった。

それからPきほちゃんの結婚披露パーティで会った時は、ご自分で凛と着物を着こなされてカッコ良かったな。
日本を出たからこそ着物を着る気になったと話されていたよね。

そして、本当の意味で「上田さん」が「うえこさん」になったのは
2002年、ジェラダさんの来日で名古屋企画を請け負った時。
最初、うえこさんから名古屋でも何かできないかと話が来た時は
私にできるか少々不安もあったが、それはすぐに払拭された。
なぜなら、非常に綿密かつ丁寧な企画運営だったからだ。
しっかりとオーガナイズされていて、私はただ線路の上を走るだけで良かった。
お陰でメールや電話でひとつひとつやりとりしながら何の不安もなく進めていけたし、
しかもうえこさんは日本でのプロジェクト成功だけにフォーカスしているのではなく
その先に新旧のバリ芸能の復興・発展というさらなる到達点があった。
本当に偉大なる先達だった。
名古屋でのワークショップの他に中部大学市民講座がジェラダさん来日企画にリンクしていたので
葉月さんとうえこさんの豪華なパニャンブラマとレゴン サブダ・カサという創作レゴンに
名古屋の生徒さん達は度肝を抜かれていた。

あの素敵な踊りをもう二度と見ることはできない。
お茶目な笑い話を聞くこともできない。

しかし、私にとっては一人の舞踊家としていまだ遥か前方を歩く目標であることに変わりはない。

うえこさん、安らかに安らかにお眠りください。





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「いっちゃえるとこです。」

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「んー。飲みながら考えます。」