親鸞聖人750回御遠忌 第30組プレ大会 -講演と舞楽のつどい-
納棺夫日記の青木新門さんのお話と楽僧さん10人による舞楽のつどい。
雅楽や舞楽のできて資格をお持ちのお坊さんを「楽僧」っていうんだって。
知らなかった。なんか字だけみると楽しそうなお坊さんであります。
法光寺の島津さんに教えていただいて、この日のことを知ったんだけど、
最初は(青木さんは
暁天講座で聞いたからパスしちゃおっかな、稽古でぎりぎりだし)
と不謹慎な考えでいた。
しかし。青木さんの話…。「すいません不謹慎で!」と大きな声であやまる。心の中で。
この前には気がつかなかったことまで発見しちゃって、やっぱり来てよかった。
この話、じじばばだけの話じゃないなぁ。ワカモノにこそ聞いてもらいたい。
きっと感じるところ多いと思うし。
で、舞楽。
これも、すべてがにくたらしいほどカッコよかった。
雅楽のあの独特の旋律が、子供の時は怖かった。
遠くから聞こえてくるとなんかいてもたってもいられない不安感にさいなまれ
耳をふさぎたくなったものだ。雅楽の旋律は異形のもの、私にとって戦慄だったのだ。
でもいつしか、客観的に音楽のひとつとして捉えられるようになり
あの音色、旋律は天上の世界のイメージだなと気づいたのだ。
子供心にそれがこの世のものでない理解不能の存在=怖い、となっていたんだろう。
今でも「どうやって拍を取っているのかわからない」という意味で私にとって謎めいた存在である。
みやびやかなしらべだなあ…。あ。だから雅楽っていうんだ。
などと当たり前のことに感心しながら聴き惚れていた。
あ、楽人さんの中にいつもお世話になってる別院教化事業部の部長さんがいらして
竜笛を奏でてました。
パフォーマンスの前にダンサーのトークがあり、
楽器の説明や踊りの説明をされ、それがとってもお話が上手で、しかもあったかい感じで
さすがしゃべりが商売のお坊さんだけある。
そして、陵王という面をつけた舞。
これが実に興味深かった。
同じ仮面舞踊をするものとして、感心することしきり。
あれだけ大きく動いてぶれない。
視界はどうなっているのか。衣装もタパルもかなり重いぞ。
タパルはああして師匠につけてもらうのがお約束なのか。
うーんこれ踊る前の精神状態、かなりあらたまるだろうな。別のスイッチが入りそう。
前から2列目の席だったので、ダンサーの空気感がそのまま伝わり、瞬きも忘れて見入った。
終わって席を立とうとしたら
「せーんせ~、ワタシずっと嗚咽が止まらなくて~」
とPおりちゃんに声かけられた。
「あ、Pおりちゃん来てくれたのお。嗚咽ですよォありがとー」
帰ってオシ君に話したら
「おまえらは嗚咽女か」
と言われた。
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- 2010/05/23(日) 23:59:59|
- 徒然
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