早稲田大学演劇博物館グローバルCOEプログラムの舞踊研究コースのイベントとして
この日バリ舞踊研究会が開かれる事を偶然2,3日前にネットで知り、釘付けになった。
それは講師が伏木香織さんと猪野尾洋美さんだったからだ。
このお二人の名前を目にして軽い興奮を覚え、是非参加したいと思ったまではいいが、
果たして一般の者が参加していいものか…。とにかく電話してみようと思い、思った瞬間に電話していた。
電話口に出られた方の応対も快く、「どなたでも参加して頂けます」との事でホッと胸をなでおろした。
オシ君に話したら「オレも行く」とのこと。こういうところ感性の指向が似ていて嬉しい。
私は一応バリ舞踊界の末席を汚して12年経つが、バリ舞踊を始めたのもジャワだったし、
留学経験もないし、ただ自分で暗中模索、試行錯誤の繰り返しで今日まできている。
踊りというものがどういうものか、また一体自分はこれでいいのか、未だ旅の途中である。
今回のような、研究者、舞踊家の第一人者からレクチャーを受けられる機会は、
迷いを払拭したり、新たな発見をしたり、また自分を整理整頓したり、そして大きな刺激を受けたりできる本当にまたとない機会なんである。
本当に、大げさでなく心の中で(待ってましたっ)と叫んだ。

17:00~20:30で、なんと、さ、さ、さんじかんびっちり隙間無く濃い内容。
こういう会で眠くならなかった事あるかな…。
必ずどこかに眠りの灰色熊がやってきてハンマーで後頭部をガーン、たちまち眠りに落ちるってな感じなんだけど、今回は来なかった。
眠くなる隙もなかった。
伏木さんは1970年代から現在に渡るまでの変容と現状を語られた。
はじめにプリントもらった時、A43枚分の資料で、(すごい情報量。これ時間内に終わるんかいな)
と思ったが、(頭のいい人って、難しい内容を平易な言葉で表現するのがホントにうまいなー。)
と感服した。途中映像を交えてしっかり最後までいっちゃった。
点と点を結んで頂いた気がする。
当時、バリに行って経験した色々な事の背景が(そういう事だったのか)とうなづけたり、
あるいは(そんな世の中の動きがあったのか)と初めて知る事もあったりして、
点と点を結んだ上、さらに奥行きを広げてもらった。
早速次回のプナでバヤンニンテについて触れよう。

次に猪野尾さんが実技メインのレクチャーをされ、これがまた良かったんだな~。
言語化するのが難しい身体の感覚をよくあんなに的確に言葉で伝えられるなと思う。
言葉を裏打ちする実演の方も素晴らしいので、見ている私たちはストンと納得させられてしまう。
そして、話術。無理がない。あくまでも等身大なのである。
キーワードはクンチと毛穴開き。それを見事に伝えていらした。
何だろうな~、この高揚感は。
終わってもずっと続いている。
今日の事は自分にも生徒さんにも還元できる事ばかりで、
べたな言い方だけど、頑張ろうと思った。
帰りの新幹線で…
金曜日の最終だったので満員で、指定を取ったら3席続きの真ん中だった。
ギリギリに乗り込んで自分の座席探し、みっけ。でも荷物置いてある。
「あの~、ここ私の席なんですけどぉ」
3席続きの窓側には既にノートPC広げたサラリーマン、無言で荷物どけた。
自販機行きたかったし、通路側の席はまだ誰も来てない→今から来るであろう→真ん中空いてると思われてその人に荷物置かれるとやだ→「ココの席、います」のサインとして昨日の「立飲み人生劇場」を置いて自販機に行った。
お茶を買って帰ってくると案の定、通路側の席、人が(おじさん)が座ってる。
「すみませーん。」と通路側おじさんの足をまたいで真ん中の自分の席に座ろうとしたその時、
通路側おじさん
「あ、本(立飲み人生劇場のこと)お宅のでしょ?」と窓側PCサラリーマンに声かける。
私
「あ、違うんですそれ私のなんです」
通路側おじさん足を元に戻しながら
「(物珍しそうに)へえ~、こういうの好きなの?」
私
「はい…。好きですけどそれが何か?」
通路側おじさん
「へ~え、好きなんだ」
その日、全く出張OLみたいな格好していた私。
人を外見で判断してはいけません。
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- 2009/11/06(金) 23:59:59|
- バリ、インドネシア
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