まだ小学生だった私に、「ヨーコ、これ読むか?」と
「カムイ伝」を教えてくれた、
目上の人との酌の交わし方を教えてくれた、
刺身の美味しい食べ方を教えてくれた、
お肉の美味しい食べ方を教えてくれた、
私の踊りを観て、「あんな踊りでよくやってるなおまえ」と言ってくれた、
「そのベストいいね」とオシ君が言ったらサッと脱いで財布からお金出して
「やるわ。これクリーニング代。」と言って惜しげもなくくれた、
若気の至りで西宮のおうちに何の連絡もなくしかも夕ご飯時に泊まりに行っても
「よく来たな」と歓迎してくれた、
インドネシアに出発する前日に我が家のレベルでは絶対に敷居をまたげない高級店で
おばちゃんと一緒にご馳走してくれて「気をつけて行ってこいよ」と送ってくれた、
向こうに行ったら読めないからコレもコレも持ってけと
週刊誌から月刊誌から新聞から何から持たせてくれた、
インドネシアから帰国した時、鎌ヶ谷のおうちで「よく元気に帰ってきたな」と出迎えてくれた、
巳代治おじちゃんが亡くなった。
親以上に愛情を注いでくれた大事な人だった。
企業戦士で、昭和を引っ張って来た人だった。
6回の転勤13回の転居を経て、最後は千葉の鎌ヶ谷でこれから悠々自適の生活を送れるはずだった。
しかし、それはかなわぬまま逝ってしまった。
今日は告別式だった。
死は生以上にリアルなのかもしれない。
ありがとう巳代治おじちゃん。
やすらかにお眠り下さい。
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- 2009/04/30(木) 23:59:59|
- 徒然
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春と言うよりは初夏を思わせる陽気の覚王山春祭。
初めて出演した時もこんな風に暑い春祭だったっけ、と思い出に浸りつつ、
いったい何回目の出演だろうと数えてみたら22回目だった。
初出演は1998年だったから…え?もう12年目?
うちのキッズ達はまだ生まれてない。
今日は思い出に浸るの日だった。
日泰寺にお参りして広い境内を歩いてた。
(ここ、新卒の時よく仕事の帰りに寄ったっけ)
そう、かたぎの仕事をしていた時、初めての職場が本山だった。
本山から覚王山まではすぐ。距離にして1キロくらいかな。
気候のいい時はお気楽にチャリで通ってたのであちこちで道草を食っていたのだ。
日泰寺はただ単にだだっ広い境内が気に入っていた。
あれから?年。
自分もだけど、もう、何もかもがすごく変わった。
覚王山の参道も変貌すさまじい。
「腕を上げても絶対に脇がひきつれない上着」を発明した仕立屋さんは
どこへ行っちゃったんだろう。
気に入っていたのに…。
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プナブさん達今日もたのむヨー 幕開けはルジャンで

写メ大歓迎! 手前→姫、奥→王

恍惚のプゲチェ バラガン行くよ~

かぶりつきのお嬢ちゃん テリマカシ バニャ
控え室といえば…。
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- 2009/04/12(日) 23:59:59|
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晴れた。(Pしはらキャップの仏通力)ちょうどお昼時のステージで、2回とも多くのお客さん達に観て頂く事ができた。長い演目を動かずにずっと観て下さったみなさんに感謝、合掌。
満開中の満開。 …全画像クリックで拡大可…

白象の行進
・ステージ 1回目・

(ルジャン デワ)
微笑む踊り手。(境内でルジャンはサイコー)と心の声。見守るお客さん達。

(キジャン クンチャナ)黄金の鹿
観ていたおばあちゃんとお孫ちゃんの会話
「ほらほらバンビちゃんだよ」
「バンビちゃん達、なぐさめてるね~」
伝わってる。
・ステージ 2回目・

(プスパ メカール)歓迎の踊り
祈っているの巻。

実はこんなにいたのだ。

(チョンドン)レゴンクラトンより
中2になったばかりのPづほちゃん。Debut。

桜→衣裳→舞台(緋毛氈)と濃くなるピンクのグラデーション。
この写真ではわからないけど、ステージ正面が満開の桜なのでこれ以上の贅沢はない今年の舞台。
「今年の舞台はどうでした?って部長さんからお気遣い頂いたヨ。どうだった?」
「サイコー。だって出ですごい緊張して、でも目の前の桜が目に入るとその緊張も解けたもん」
とノー天気なプナリ達でありました。
そして屋台など…。
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- 2009/04/05(日) 23:59:59|
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